都城の歴史を聴く 「デメジン」とは

昨夜は、郷土史家の田代義弘先生の話をお聞きしました。
友人たちとその知人に、約30名ほど集まっていただき
興味深い歴史の話を聴きました。


都城の歴史といえば、ほとんどが島津家の話になるわけですが、
その前には、大和朝廷大豪族の大伴氏の流れを汲む肝付氏が
この地域を支配していたころもあったとか。

大河ドラマがいくつも作れそうな話がいっぱいある
都城の歴史なんです。

昨夜、ある先輩が喜んだのは、都島町の「兼喜神社」の
由来を聴くことが出来たからでした。

まず、歴史ある島津家ゆかりの兼喜神社が
何故、あんなに、小さいのか・・・。

答えは、氏子が島津家だけ、一つの家だけの為の
神社だからなんですねぇ。

しかも、その始まりが不幸にしてなくなった
島津家の長男を弔うため。
しかも、6回もその神社の名前を変えているほどの、
祟りがあったからなんです。

そのミステリーのような経緯はあの豊臣秀吉の
島津征伐にも絡む複雑怪奇なお話。

又、問う先輩、小さいころは兼喜神社のことを
何故か「デメジン」を呼んでいたそうです。
なんと、その答えは・・・
江戸時代に大明神と付いた名称になっていたことがあり、
大明神→ダイミョウジン→デメジン、とのことでした。

昭和28年生まれの先輩が子供の頃に、
なんと江戸時代の兼喜神社の
呼び名が残っていて、普通にみんなが使っていたのが、
とても楽しい気分になりました。

因みに、現在の「兼喜神社」と呼ばれたのは、
明治になってからのことだそうです。

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